感動したい【KawazAdventCalendar12/5】

kawazAdventCalender

おそらくKawaz内で最も若輩者の渡坂系統、17才です!アイドルの自己紹介みたいになってしまった。

はてさて。経験も実績も皆無の私に何が書けるのか、とACが始まってからずっと考えていましたが

やっぱり自分が書きたいものを書くべきだろうと言うことで最近思ったことつらつらと綴っていきます。

何故他の方の記事を見てから書かなかったのかと今更後悔

駄文失礼いたします。

感動欲

最近、というか人生を通してですが僕は出不精なんですよね、ですが高校に入ったあたりから

環境にも恵まれたのか、外へ出ることが多くなりました。まあそれはあんまり治ってない上に

高校入って始めたDTMなんかは象徴的な一人遊びになってますが...。

まあそれは置いておき、環境が変わったことによって一番僕の中で変わっていったのが感動したい

という謎の欲求でした。

この欲求の出所は恐らく僕自身があまり日の当たらない生活を送ってきたせいか(ほぼニート)、外へ出て

自分から美しいもの、綺麗なものを見てこなかったので、それのツケが回ってきたんじゃなかろうかと

勝手に思っています。以前謎のままです。

感動とは?

Wikipedia先生に言わせたら、曖昧さ回避のために別のページを用意する単語です。Wikiはありません。

ですが、一応goo辞書さんは解釈を掲載していたので紹介しておきます。

[名](スル)ある物事に深い感銘を受けて強く心を動かされること。

なぜ悲しみなどの形容詞的なもののWikiがあるのに感動がないのかは謎ですが、これでやる気のない

高大生のようにコピペは出来なくなりました。ですが、SNS上ではときたま話題になることもなくはない

この「感動欲」という単語。みなさんは経験したことがあるでしょうか?家でゲームしてても食事をしていても

最中に突如現れるもの。これを書いてる時も感動したいって思ってます、まあ思ってなかったら書かないですね。

結論付けは出来ませんが、goo辞書さんの言うように、世間一般ではやはり心を動かされる事を指すのではな

いかと思っています。まあ「深い感銘」という最上級表現を使っているので程度はかなり高いものと思われますが

まあこの辺の定義は皆さんの心の中で考えてください(丸投げ)

なぜ感動したいか?

僕は音楽をやっていますが、特異な才能など無く、平凡な耳で、やる気に溢れた人でもありません。

音楽が好きで、やってみたいと思った意志のみでやっています。

僕に無いものを持ってる人たちはぼんやりとですが、曲に色が付いて見えます。個人的にこれはその人の経験

もしくは聞いてきた音楽に感化されて化学反応を重ねて多色になっていったのではないかと踏んでいます。

ので、理由としてはそういった音楽で色を伝えられる尊敬する音屋、DTMerの方々に少しでも近付くために自分

の経験を培おうとしている、といったところです。

こればかりは僕の感覚なのでみなさんには経験が無いかもしれませんが、きっとバーナム効果か何かで自分にも

当てはまっている気がしてきている事と思います。

自分へのすり替え

直近で感動したのは、あくまで僕基準で、一昨日行った学生主体の演奏会でした。感動に飢えてる民なので

もしかしたら心を動かされるまでのハードルが低くなってたのかもしれませんが、僕が考えうる中での感動の

指標である鳥肌は立ちました。凄く良かったです。

最も、生きている中で好きなアーティストが新譜発売しただとか、Youtubeでクロスフェードを発表しただとか

そういう事でも心は踊るでしょう。

そして、もちろん一回感動してしまったことをもう一度見て再びそうなるというのは、無いとは言いませんが

あまりないですよね。

僕が言いたいのは「感動の程度、またその状態になるまでのハードルは、人によって違う事と感動した数だけ

高くなっていく事」という話です。これも皆さんで自分ですり替えてみてください。


  1. 知り合いは良いものだと言っているが自分はあまり良いものだとは思わなかった事はないか?
  2. ゲーム他、創作して良いものが出来ると次の作品が物足りなく感じる事はないか?

ふわっとした表現をして、これを見ている人に分かりやすく僕に気持ちをまとめるとこんな感じでしょうか。

まあ極端な事言えば

二十歳の時にクソだと思った映画を「あっ今俺物心付いた」みたいな6才ぐらいの時にみるとめっちゃ感動するんじゃないか

って話です。

キャプチャ.JPG

感動欲による弊害

これだけ見ると経験を求める事は大事な事だと偉人が言いそうなことですが、僕だけかもしれませんが確実に

弊害が存在します。

端的に言うとゲームが楽しめないです。元々僕はゲームがとても好きで(主にソロ)ポケモンやらFEやらに

ドはまりしていました。ゲームは僕の人生に必要だったと思ってます。

が、ゲームは非生産的だとどこか心の奥で引っかかっているんだと思います。

それのせいで感動欲求が現れた時に「なんでゲームなんかしてるんだ外へ行こう」なんて思ったり。

確実に今でもゲームが好きですし、これからの人生にゲームがあったら最高だと思ってます。

もちろんゲームで学ぶこともある、ゲームで想像力が膨らむ、なんて事もわかってはいるんですけどね。

これも僕だけが感じる違和感と言いますか、もしかしたら皆さんに当てはまらない話題かもしれません。

そんな拭えない思いも抱えながらまとめに入ろうと思います。

まとめ...?

短くない?って思ったそこの方、すみません。見切り発車で書いた記事なので内容が薄いかもしれませんが

思ったことまとめなので、あとは各個人で思った事コメント残してくれると面白いのでお願いします。

まとめと言っても話し切ってこれ以上話すことがないんので、とりあえず箇条書きで書かせて頂きます。


  1. 感動欲は謎だが、僕にとっては禁断症状のようなものらしい
  2. 感動へのプロセス、程度は個人差がある。
  3. 感動への欲求が強すぎて他の事が手に付かない(最早気持ちよくなるお薬のよう)

意外とまとめると分かりやすかったんじゃないでしょうか。

蛇足

僕の当たり障りのない文章はいかがだったでしょうか。

ブログも書き慣れていないので、文字ばかりのさぞ読みづらい文章だったと思います。

僕自身あまりKawazの企画に参加出来ていないので、がんばるZOYなんて言いつつ集まりだけ行ってるまさに

絶賛幽霊部員なわけですが、活力はあるので面白い企画があれば是非とも参加したいなと思っております。

少しでも思った事があれば、短くても良いので↓のコメント欄に書いて頂けると助かります。

明日はハワイ長万部さん @kyun_vamp です!

それでは。

1 RIRA (@RIRA)

僕は中学生の頃、ラノベを読むことにハマっていた時期があったのですが、今になってもう一度中学校の頃に読んだラノベを読み返すと、なんでこんなの面白いと思ってたんだろう...みたいな感覚に陥ったりします。合ってるかどうか分かりませんが、

二十歳の時にクソだと思った映画を「あっ今俺物心付いた」みたいな6才ぐらいの時にみるとめっちゃ感動するんじゃないか

勝手に、この文章と原理的には一緒なんじゃないかな?と思いました。違ったらごめんなさい!

感動欲による弊害の内容については僕も似たような事でつい最近まで悩んでいました。確かにゲームって、直接自分自身の現実に与える影響が少ないモノです。なので非生産的と言うことも出来ると思います。そしてその割に、多くの時間を割いてプレイする必要があるという意味でも、非生産的と言うことが出来ると思います。それを考えると、外に出て友達と遊んだり、旅行に行ったりする方が生産的だ、と思うかもしれません。

僕はこのモヤモヤをどのように解決しているのかと言うと、非生産的であるゲームをしながら、現実で生産性を最大限に上げていく、というゲームもやります。この考えだとずっとゲーム出来るのでオススメです。

2 kosian (@kita_kosian)

ハードルが上がると素直に物事を楽しめてない気がしてくやしいのでいつもぴっちぴちの少年の心を持って作品を楽しむようにしてます。感受性が高いほうが同じ体験でもえられるものが同じ体験でもえられるものが多そうなので。

もちろんハードルを高く持たなきゃいけない場面も出てきてるので切り替えにはこれから先も苦労しそうだなぁとは思っていますが、枯れるのは避けられないので今のうちにバカやっとくべきかなぁと思ってますね

3 AttaQ (@AttaQ)

私は渡坂さん感動欲に当たるのが知識欲ですね。
知らないことを知りたいという欲求で生きてます。
非生産的で悩んだことはないですね、回り回って損ではないとわかっているのと
そもそも義務感では身につかないこと、そもそも真面目じゃないのが要因かな。

感動欲による弊害はもうがっつり受けちゃってます。
多分感動した数というよりは質で、だんだんハードルが上がるのかと。
これは私的には仕方ない諦めるべきで、美食家になってしまったと考えています。

ただ、2005年からネットにいますけど、毎年どのジャンルも信じられないくらい成長しています。
なので、感動できなくて辛いなんでことはあんまりないと思うので大丈夫!

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